僕は過去に歌い手をやっていたことがある。
もちろんライブもしたし過去にチェキを撮ったこともある。
でも自分の顔に値段をつけたりすることが嫌だったり、歌がそんなに上手いわけでもないのにライブに出たりするのが嫌で、歌い手をやめようと思った。
じゃあ何をするのか?その疑問から生まれたのが、『曲を作ること』でした。
作曲は難しいもんで、まずはピアノとギターを弾きながらコードを覚えたりしました。ネットで記事を漁って勉強したりもしました。
なんとなくわかってきたところで、作曲だけでなく、作詞と編曲も勉強し始めました。作詞を勉強するために本を読んだり、作詞イベントに参加したりしました。
リリィ、さよなら。というアーティストさんの作詞イベントに参加して、僕の書いた詩をピックアップして歌ってくれました。
編曲は、kemuさんこと、堀江晶太さんの作編曲イベントに参加して、リアルタイムで作曲・編曲しているところを勉強しました。
そこで自分が作った曲を聴いてもらう時間があったのですが、30人に1人に逸材と言っていただきました笑 ちょっと母体数が微妙ですが、めっちゃ嬉しかったです。
他の人はkemuさん好きすぎて、kemu感MAXの編曲だったので、異色だったのかなと思いました。
曲を作って詩を書いて編曲を勉強して、ようやく達成した10万再生。
歌ってみたという、人の曲(知名度ありき)を借りて達成したものではない、自分で1から作り上げた作品なのだ。(もちろんイラスト, 動画など助けてくれた人はたくさんいます。)
これは誇りに思っていいだろう。
でも歌ってみたをしていたことで、”歌い手上がりのボカロP”という肩書きというか汚職のようなものは消えない。
歌い手を否定しているわけではないし、売れるのであればそちらに転じても良いかと思う気持ちですらある。
まふまふさんだって歌い手と名乗って活動しているし、結局メディアに出て実際に地位と名誉を得るのは歌い手さんなんだなと思う。
シンガーソングライターもボカロPも、結局はアイドルほど稼ぐのは難しいのかもしれない。
お金が全てじゃないと言われればそうだし、結局音楽をやる理由なんて人それぞれだ。
けど僕は昔から一つ叶えたいことがあった。
それは何か決まった肩書きがあるわけでもなく、あふれんばかりの歓声を浴びること。
誰かのために曲を書くなんて、そんな綺麗なことは言えない。
汚れた自分のために書いている。
自分自身を励ましたいから書いたという曲が多い。
そんな夢を叶えるためなら、例え自分がアイドルだなんだの言われてもいいと思った。
世の中は残酷なもので、売れた人が勝つ。
勝つというのはそのまま幸せに繋がる確率が高い。
負けることも美学かもしれないけど、僕はそんなの嫌だ。絶対勝ちたい。
『歌い手だ』『アイドル系だ』そういう風に言われても、僕は黙ってその場を立ち去り、自分のやるべきことをやると思います。
作詞もまだまだ甘いし、編曲だって打ち込みしかできない。
Mixができないから一人で音楽を完結できないままだし、ギターだってまだまだ下手なので切り貼りしている。やるべきことがたくさんあるのだ。
止まっている暇はない。
明日自分がいなくなった時に何も残っていないこと、誰も悲しんでくれないことが怖くて、今日もずっと活動のことを考えて生きています。
話がまとまらないこの感じが路頭に迷っているよう状況を示していますが、僕は暗闇の中から光を探します。
自分で自分の光を見つけて、
必ずこの頂登りきる。
最近はそういう感じの心境でした。
ではでは。





